日本の仏教文化において、大切な役割を担っているのが、亡くなった人の霊を弔うための木製の札である。葬儀や法要の際には、おおむね重要な位置を占めてきた歴史がある。古くは先祖や家族の死者のために設けられ、仏壇の正面や上段、または祭壇などに安置される。木の板には戒名や没年月日、享年などが記されており、供養や冥福を祈る拠り所となる。日本には多様な仏教宗派が存在し、伝統や解釈によってこの札の扱いは様々である。
浄土真宗においては、その教義に起因して少し特異な位置づけとなっていることが注目点である。浄土系の宗派では他宗とは異なり、俗世のしきたりより教義の純粋性や念仏信仰の重視が根底にあるため、従来の札が果たしてきた役目に関して批判的な視点を持つ。この宗派では、一般には死者の戒名の前に「釋」という字を冠し、「位」という語句をつけず単に法名での記載がなされることが多い。また、死者の魂を特定の木板や物体に宿す、あるいは閉じ込めるという発想自体を根本教義から否定しており、「心から念仏を唱えることが最も大切」とされている。そのため、場合によってはこの木札自体を作らない家も存在する。
かつて多くの宗派と同様に設置された時期もあったが、宗学者や僧侶などによる戒めがあり、20世紀を通じて廃止に動く寺院や門徒が増えた流れがある。もっとも現代では家族や社会との調和を優先し、他の親族から強く要望がある場合には形式的に作成する例もみられる。葬式は各宗派の基本思想や地域性、個人や家族の価値観によって向き合い方が異なるため、その手順や流れは画一的ではない。たとえば仏教の典型的な葬儀においては、通夜のあと、告別式のなかで戒名を与え、その場で立派な木札を読み上げたり、家族の手に直接渡したりする。ここでの戒名は故人の徳や信仰を称え、ときには僧侶から由緒と意味の説明がなされる。
その後、遺影や供物とともに祭壇最上部に掲げられ、初七日法要、四十九日法要などの追善供養でも中心的に扱われることが多い。年月が経つと白木でできた簡素なものから漆塗りや螺鈿細工が美しいものに移し替え、仏壇に祀り続けるのが伝統だが、家庭環境や住宅事情によっては小型であったり書院の一部で保管されたりする家もある。江戸時代には一般庶民にも浸透し、家ごとに特注で注文される文化が広まった。この札の扱いをめぐっては、家々や地域によっても細かな違いが観察できる。日本海側と太平洋側、地方都市と大都市部では葬送儀礼や供養の方法に若干の色合いの違いがみられる。
加えて、世帯構成や現代のライフスタイルの多様化により、全ての家で祭壇にずらりと並ぶような場面は減り、多くは故人の戒名のみを記した一基に集約する傾向が生まれている。一方、宗派や土地柄に拘らず、「かけがえのない人を想い続ける」という心情に寄り添うため、多くの家庭では四十九日以降も祖先と向き合う象徴として大切に守り続けている。供養と聞くと、儀式や形にとらわれがちではあるが、本来大切なのは遺された者が故人を偲び日々の生活に活力を持ち、感謝の思いを忘れずに暮らすことに他ならない。それゆえ木札の形や数を過度に気にかけるのではなく、心に深く刻まれた追慕の念こそが弔いの本質であると説く僧侶や研究者も少なくない。それに合わせて、必要に応じて家族の意向や宗教者の助言を受けながら、調和と安心を重視しながら考えることが推奨される。
現在では、以下の理由から法要ごとに拝礼する対象の意味合いを大切にしつつ、設置を極力簡素化する動きが見られる。仏教葬儀という営みは、単なる形式ではなく、ほどこす行為そのものに内在的な意味が託されてきた。札を敬い、供物や清浄な水、花を捧げる行為は名実ともに家族と先祖との絆を深める機会となる。どの宗派にも共通するのは、亡くなった人を敬い祈りを捧げ続けること、その想いを世代を越えて守り伝えることの重要性である。宗派がどのような見解を持っていても、また儀礼の工程に多少の違いがあったとしても、大切なのはその奥に流れている家族への思いや感謝の心といえる。
伝統的な宗教行事を通じて、現代の生活の中でも心のつながりや和を守り続けることの価値は揺るぎないものとして残っている。日本の仏教において、故人を弔うための木製の札は、葬儀や法要の中心的存在として長らく大切に扱われてきた。札には故人の戒名や没年月日などが記され、仏壇や祭壇に安置されることで、先祖や家族を偲ぶ拠り所となっている。しかし、すべての仏教宗派で同じように重視されているわけではなく、特に浄土真宗においては、念仏信仰を最重視した教義から、札の役割や「位牌」という概念自体に批判的な立場をとることも多い。宗派の伝統や家族、地域ごとの風習によって札の扱いや有無にはかなりの違いがみられる。
近年では住環境の変化や家族構成の多様化により、祭壇に複数の札を並べる風景は減少し、多くの家庭では一つの札にまとめたり、簡素な形式をとるケースが増えている。それでも、亡き人を偲ぶ気持ちや家族への思いを大切にする本質は変わらず、多くの家庭で札を大切に守る姿勢が続いている。僧侶や研究者からは、形式ばかりにとらわれず、遺された家族が故人を思い、感謝を忘れず生きることこそが、弔いの本質であると説かれている。現代社会においても、たとえ儀式の形式や札の数が変わろうとも、心の絆や家族の和を大切にし続けるという仏教文化の精神は、今も日本人の暮らしに深く根付いている。